同じドイツにあっても、ドイツプレミアム御三家とは、どこかが根本的に違う。長年にわたって、フォルクスワーゲンのデザインは、「地味」だと言われてきた。でも、果たしてそうだろうか?進化と拡大の道をひた走るメジャードイツブランドのカタチの真実に迫り、その秘められた本質を明らかにする。
文●沢村慎太朗
よいクルマのカタチとは、いったいどういうものか・・・。
大昔から繰り返されるその問いに答えるのは難しい。なぜなら、ひとにはそれぞれ育んできた美意識がさまざまにあり、加えて独自の趣味趣向があるからだ。たとえばピカソが好きなひともいるだろうし、ミケランジェロが最高というひともいて、緑色の髪の毛をしたアニメの少女が好きなひともいるだろう。自動車はいまや世界商品であり、60億になんなんとする全世界の人類すべての美意識や趣味趣向をことごとく満たすカタチなどあるわけがないのだ。
だがひとつだけ言えることがある。
物には「本質」があり、その本質に沿った形をしていると、我々は絶大な安心感と信頼感を抱き、それを好ましいと思う。実が小さいときから箱に入れて育てた四角いスイカなんてものがある。それを我々はおもしろいとは感じるけれど、美味しそうだとは思わない。植物の実は自然の摂理に沿って生存するために丸い。理屈はともかく生きてきた経験でこれを知っているから、そう思うのだ。
クルマはどうか。自動車のボディは鋼でできている。樹脂やアルミで作る場合もあるけれど、そういう車種は数少ないし、軽量化のために一部に用いられることもあるが、使用箇所は限定的だ。大半のクルマは鋼板を金型で挟んで、何万トンという圧力を加えてプレス成型されるのだ。
かつて鋼板プレスの技術が未熟だったころ、自動車のパネルは鋼の物性に逆らわないようにプレス成型された。そうしないと、きちんと曲がってくれないし、無理をすれば裂けてしまったからだ。鉄の言うことを聞いてあげて、折り曲げるところでは鉄が曲がりやすいように曲げた。そもそもクルマにかぎらず鋼でつくった製品は、昔はみなそうだった。だから我々人類にはそれが鉄の鋼のカタチだという記憶が埋め込まれた。50年以上前に作られたVWビートルやオリジナルミニのことを想い出してほしい。その当時は鋼板の物性に逆らわないようにプレス成型しなければ量産できなかったから、その制約のもとでああしたカタチができあがったのだ。
そういう技術的に幼かったころの自動車をいま眺めると、懐かしいと感じる。若者でも同じようなことを言う。ということはビートルやミニそのものが懐かしいのではない。人間が鉄と付き合い始めたのは紀元前3000年よりも前。5000年以上に渡ってホモサピエンスには鉄や鋼として自然なカタチの記憶が積み重ねられてきて、たぶん遺伝子が継承しているのだろう。その情報を、鉄の鍋釜で炊事をしてブリキの玩具で遊んで上書きしながら我々は成長する。そうして人間がよく知っている鋼らしいカタチをしているからビートルやミニを懐かしく愛おしく思えるのだ。
そんなころから半世紀が過ぎて、いまや自動車用鋼板もそのプレス技術は遥かに進歩した。強引な曲げ方をしてもヘコタレない鋼板やプレス機械が生まれた。その恩恵を受けてデザイナーと呼ばれるひとたちは、鋼の物性にさほど縛られずクルマのカタチを決められるようになった。いまやデザインは軟らかい粘土を削って盛ってできあがる。粘土で作るカタチが、ほぼそのまま鋼板で再現できるようになったのだ。
おかげで現代の自動車は鋼でできているとは思えないカタチになっている。技術の勝利だ。その勝利に乗って21世紀の自動車のボディは至るところで凸凹にうねり、それぞれ声高にデザインの自己主張をしている。ときに、あくどいまでに・・・。
それはまるでタレント予備軍の女のコたちの化粧だ。自分のキャラを立てんと流行の手口を網羅して顔をこれでもかと華やかに塗る。互いに競い合ったその結果、皆が同じように見えてしまって、かえって個々が目立たなくなった。こうして電車の中や街には、まるでCGで書いた絵のように派手に塗っているのに同じように見えてしまうそういう顔が並ぶ。自動車だって変わらない。とりわけ21世紀になって新興国で飛ぶようにクルマが売れるようになって、メーカーの伝統や個性をよく知らないそういう市場のお客にも自己主張をするために、クルマは個性的なカタチを目指して没個性となった。欧州車も米国車も日本車も。
だが、その道を選ばなかったメーカーがある。フォルクスワーゲンだ。
VWはボディ表面に筋や溝をこれでもかとうねらせるデザインをしなかった。代わりに粘土でなく、ちゃんと鋼でできていると分らせてくれるデザインをした。それでいてナマクラでなく、じつに精密で凛とした曲面を描くのだ。半世紀分のプレス鋼板技術の進歩は、鋼なのだからきちんと鋼らしく見えて、それでいて清々しく洗練された現代的な造形に仕上げるために使われたのだ。
街角やショールームでゴルフや「up!」を観るとき、その鋼板の曲げ方に注視してほしい。大掴みに眺めるだけだと、VW各車は我々がよく知っている鋼らしいカタチをしていて、しかも流行の凸凹ウネウネをやっていないから、安心感を抱きつつも、どこか保守的でツマらない恰好にも見えてしまう。だが近くでじっくり観察すれば、それが注意深くデザインされた洒脱な造形の集合体だということに気づく。
それと気づかぬほど、注意深く施されて素顔の特長を際立たせる化粧をナチュラルメイクと呼ぶ。自作のコスプレ衣装を着て、秋葉原に出かけそうな流行の厚化粧とナチュラルメイク。毎日を共にする相手としたら、どちらが正しいかは言うまでもない。その意味において、フォルクスワーゲンはよいカタチなのだ。
PROFILE
自動車ジャーナリスト 沢村慎太朗
●研ぎ澄まされた感性と鋭い観察力、さらに徹底的なメカニズム分析によりクルマを論理的に、そしてときに叙情的に語る自動車ジャーナリスト。
巨匠ジョルジェット・ジウジアーロの手によって初代ゴルフが誕生した1974年から、モデルチェンジを重ね、現在は7代目。40年以上にもわたり、つねに革新を起こしてきたゴルフだが、どの世代を見ても「ゴルフらしい」と思わされる造形には、畏敬の念を覚えずにはいられない。