第2回目 今こそ知りたい!MERCEDES-BENZ E-Class 2 / 2ページ

GooWORLD特集記事 [2016.11.24 UP]

“Challenge” by the name of E-Class
Eクラスという名の挑戦

Eクラスという名の挑戦

会社の存続だけでなく、国家としてのドイツも存亡の危機に瀕した時代、現在のメルセデスブランドを代表するモデルが生まれようとしていたのである。

文●沢村慎太朗
写真●メルセデス・ベンツ、GooWORLD

激動の時代が生んだEクラスは苦労人

 メルセデス・ベンツという自動車会社の製品は、言うまでもないが大中小のセダン、つまりSクラスとEクラスとCクラスの3つのレンジが中核になっている。最近はAクラスとそこから派生したFFモデルが販売でも健闘しているようで、街でもしばしば見かけるようになった。けれど、内容的にもプレゼンス面でも、やっぱりSとEとCとなるのが衆目の一致するところのようだ。

 じゃあ、その3層レンジのうちでは、どれが核心なのか。

 クルマに興味がないひとたちの間ではSクラスのようだ。ベンツ→偉そう→より偉いのは押出しの効くデカいやつ→Sクラス。こういう図式らしい。そもそもドイツ人は「偉大なるナントカ」に萌える民族だ。その体質をもっとも濃く受け継ぐメーカーがベンツであり、放っておくと彼らは力いっぱい壮大にして絢爛なクルマを作りたがる。戦前のグローサーにしても戦後のプルマンにしてもルパン三世の初代愛車SSKにしても、メカと加飾にとことん贅を凝らして威風堂々の体躯をもつ。

 その一方でベンツは小型車づくりが苦手だった。第一次大戦で負けてドイツが疲弊すると、その戦後処理でアメリカ資本が上陸。それといっしょにフォードやGMの大量生産で安い自動車が上陸してきて、時代は一気に大衆化に移行した。手づくりで、豪華絢爛、デカくて高いクルマを作っていたダイムラーとベンツは、その潮目の変化に対処できなかった。両社は経営改善のため合併。そして自分たちも小型車を作ろうとする。取締役だったポルシェ博士の影響があったのか、ビートルに先立つ先進的なRRレイアウトで小型車を作ったりした。だが熟練工の手作りに依存していた生産工程が対応できずに高コスト化で失敗。慌てて時の政府に近づいてビートルの生産を請け負おうとしたり、当時の取締役会の議事録的な社史を読むと、七転八倒の試行錯誤だ。

 そうするうちにドイツが戦時体制に突入し、航空機用や船舶用のエンジンを大量受注する。軍用機や軍船は、安く作れても性能が低ければ殺られちまって意味がないから高くても凝ったメカで高性能じゃなければならず、そこは得意技だったからV12を始めとした仕事で盛り返した。

激動の時代が生んだEクラスは苦労人

 だが、その第二次大戦も負け戦。国土も国民もインフラも工業力もボロボロのなか、連合軍の監視下での再出発だったから、ベンツはまず4気筒の170という戦前設計の中型車から再出発した。いきなり豪華絢爛大型車では売れないし資材も不足している。飛行機屋だったメッサーシュミットはバイクのようなマイクロカーを作り始めたが、元クルマ屋としては嫌だし、小まわりの利かない体質も災いして技術的にも無理。だから中型車からの再出発となった。

 とはいえドイツは順調に復興。170も売れる。となると、習慣からつい6気筒車W187系なんぞを送り出す。さらに奇跡のV字回復とまで呼ばれる景気になると戦後設計の後継モデルも快調に売れて、こうなったらソレ行けとばかりに60年代に入ってW112系を繰り出す。これの商品名は300SE。Sクラスの元祖だ。

 長年の習慣から作らずにはいられない絢爛壮大なSクラスを旗艦に抱くが、基軸は中型車。こういう商品構成は70年代まで続く。そのときの中型車はW123系で商品名はコンパクト。この後継がご存じW124系ミディアムで、以降このレンジは「Eクラス」と呼ばれるようになる。

 ただし、そのW124系のときに大きな変化があった。W201系190という小型セダンを下位レンジに挿し込んだのだ。BWMが3シリーズでノシてきたのでシメるためである。このときベンツは自分たちの体質をよく自覚していた。10年かけて慎重に入念に開発を進めたのだ。おかげてW201系は自動車史上に残る傑作セダンになった。じつはW124系はその設計を拡大コピーしたものである。このとき販売やイメージはともかく、技術的な核心は中型セダンでなく小型セダンだった。

 だが190がCクラスと名前を変えた90年代以降、重心はまたEクラスに戻っていく。理由は販売実態とそれがもたらすイメージゆえだ。

激動の時代が生んだEクラスは苦労人

 欧州の会社は管理職に報酬として給料だけでなくクルマを買い与える。カンパニーカーと呼ばれるそれはベンツだとCでなくE。その需要は大きいのである(おまけにEクラスはタクシーにも使われる)。そしてEに乗っていた管理職が定年退職すると、フトコロは寂しくなるが見栄は切りたいので、せめてCでとなる。競合する3シリーズは上昇志向の若い奴のクルマという立ち位置だから、退職組はCクラスのほうに集中し、Cは爺さんのクルマとの印象が植えつけられる。芳しからぬそのイメージを払拭するためにベンツは先代W204系ではアジリティを掲げて頑張り、現行W205系は3シリーズよりはデキがよいのだけれど・・・・・・。

 そんな風にCクラスが若返りを図る傍らでEクラスは泰然自若だ。こちらはゆったり構えていてスポーティなんざ言わない。それが結果的に独自性となっているのがおもしろい。ご存じのようにレクサスまで含め世界中のセダンがBWMを目指して運動性に特化してしまった。そしてアシも動きも柔らかいセダンはEだけになってしまった。貴重なのだ。

 ドイツ車の安心感はほしいが突出したキャラがほしいわけではない。そういう動機だと、気がついたらベンツを選んでいたという結果になることが多い。そして悠然たる乗り味に満足する。こうして派手な話題にはならないけれどEクラスは横綱相撲で今日もベンツの中核なのだ。

PROFILE
自動車ジャーナリスト 沢村慎太朗
●研ぎ澄まされた感性と鋭い観察力、さらに徹底的なメカニズム分析によりクルマを論理的に、そしてときに叙情的に語る自動車ジャーナリスト。

HISTORY OF E-Class

1936 Eクラスの源流ともいえる170V(W 136)がベルリンで発表。
1976 初代Eクラスの前身、W 123が登場。大ヒットモデルとなる。

W 123

1982 190クラス(W 201)が発表。コンパクトなメルセデスの登場に世界中が驚く。日本発売は1985年。高級車の新たな概念を打ち出す。
1985 初代Eクラス(W 124)が登場。世界中で空前のブームを巻き起こす。日本発売は翌1986年。
1992 W 124がマイナーチェンジ。直4、直6のガソリンエンジンがDOHCとなる。
1995 2代目Eクラス(W 210)が登場。より軽快なデザインテイストが採用、ボディ、装備が大幅に刷新される。
1999 W 210がマイナーチェンジ。1800箇所に及び改良が行われる。
2002 3代目Eクラス(W 211)が登場。優雅でありながら、より立体的なデザインとなった。
2006 W 211がマイナーチェンジ。足まわりの変更やセーフティ性能のレベルアップなどが図られた。
2009 4代目Eクラス(W 212)が登場。2代続いた楕円形のヘッドライトは角ばったデザインに変更された。あらゆる面でコンピュータ化、自動化が進められた。
2013 W 212がマイナーチェンジ。フロントフェイスが大きく変わり、レーダーセーフティパッケージの進化、環境性能の改善が行われた。
2016 5代目Eクラス(W 213)が登場。

メルセデス・ベンツミュージアム

シュトゥットガルトにあるメルセデス・ベンツミュージアムの風景。独創的な設計の館内には160台に上る車両が展示。Eクラスよりも、はるか以前から続く歴史に出会える。

W 136

今日のEクラスのルーツともいえるW 136。第二次大戦前の1936年、ベルリンのモーターショーでデビューする。戦前、戦後と生産され、会社の存続発展に寄与した。

ブルーノ・サッコ氏

才能あふれるイタリア人デザイナーのブルーノ・サッコは、メルセデスのチーフエンジニアとして1970年代から1990年代のメルセデスの「カタチ」を作り上げた。

W 124

バブル経済にあった日本でも空前の人気を博したW 124。「最善か無か」の時代の最後のモデルとして、愛好家が多い。

※ナンバープレートは、はめ込み合成です。

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